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【支援事業者紹介】寺社、神輿の金具(錺)職人が2026年春の帰還にあたり、南相馬市で販路開拓〜「伊藤金具製作所」をご紹介

震災以降、神輿の町として有名な千葉県市川市行徳に避難していた「伊藤金具製作所」様が震災16年目にして南相馬市原町へ帰還することになりました。大正13年(1924年)に先々代が南相馬市で起業し、伊藤 和仁さんは三代目です。南相馬市は和仁さんが生まれ育った地であり、先代からの”錺(かざり)金具加工”の技術を長年かけて習得してきた思い出の地でもあります。錺(かざり)金具とは、金属板を加工し、金槌や鏨(たがね)を用い文様(もんよう)を彫り、成形し、表面を金や銀で彩り飾る金具で、これまで神輿の金具や”山形歌懸稲荷神社”、”新潟縣護國神社”の神社関係の金具を製作してきました。しかしながら、神輿、寺社業界の金具需要は減少の一途であり、今回の帰還を機に地元から新たな販路開拓を探ることとし、先日、寺社を専門に行う南相馬市の”㈲清丹社寺工舎”様を訪問し、ご挨拶とともに今後のお取引に向けた相談に参りました。㈲清丹社寺工舎の星見社長は、隣接する岩屋寺(がんおくじ)の住職でもあり、話も弾み寺内を見学させていただきました。岩屋寺山頂は五世紀頃の前方後円墳(全長37m)です。当時南相馬市域を支配した豪族のお墓で、約150年前、慈覚大師が聖観世音菩薩の本尊を彫り、天台の立院となると伝えられ、約700年前豪族三浦左近国清(別所の館主)の菩提寺で、約570年前相馬11代重胤公を山頂に埋葬供養し、相馬藩菩提寺となりました。
星見住職(社長)は、寺社業界はとても厳しい環境下ではあるが、職人同士が協力し合いながら、伝統文化、技術を後世に残していきたいとお二人で語っておられました。

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2025年7月30日掲載

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